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鳥籠の空模様

『同じ空は一つとしてなく、同じ空は二度と眺めることは叶わない』……いつか、どこかで、誰かが僕にそう教えてくれた。毎日、一秒ごとに変わりゆくこの空模様のように、僕も変わりゆく。僕は、いつか、本当の空と向き合えるようになりたい…… そんな僕の空模様を映しつつ、『小説家になろう』という大手サイトにて小説を書かせていただいている灯月公夜の日々の空模様をここに記していきます……
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2009/05/23
02:13
テスト終了><


終わりました! テストが終わりました! 終わったんです! ついに終わったんだ! うぉぉぉぉおおおおおお!!←

とまあ、のっけからテンション高くスタートです(笑

とりあえずマジで衝かれました――――じゃなくて、マジで疲れました。いやまあ、明日帰ってくるであろう物理という名の刃物が首筋にあてがわれているので、明日の午前中には確実に衝かれて死んでしまうと思うのですが(渇笑

現在眠たい目をこすりながらの更新です。真面目にこの四日間で一気に疲労困憊になりました。まあ、およそ一週間前からそれなりに前よりは勉強をしていたのですが、やはり【テスト】というものは恐ろしくしんどいものだと改めて認識しました。本気で眠たい。でも実際は疲れすぎて眠気も疲れも一周して目と頭がぎらぎらしています。
ていうか、ちょっと少し言葉使いが悪くなりますが、少しだけここの底からの雄たけびを一つ。

日曜日に模試とかマジで高校のやろうふざけんじゃねぇぇぇぇえええええええええええ!!

――――こほん。失礼しました。ちょっとばかし落ち着きました。文字の大きさは気持ちの表れです、ええ。

ちょっとこれはマジな話で、明後日――正確には24日ですが――僕らには『模試』が待っています。

まあ、一応『受験生』という立場を考えれば至極まともであることは否定しませんが。理屈と感情は別のものです。残念ながら現在疲れすぎて怒る気力もないのですけれども。
そもそも模試なんで一日がまるっきり潰れてしまうのは頭ではわかってるんですが、けれど本音としては『午前中で帰りたい、てかそもそも行きたくもない』というもので、けれど行かなければ問答無用で単位を落とされるので、本当にもう嫌です。頭ではわかってはいるのですけれど、やっぱり理屈と感情はべt(強制終了

というかそれ以前に明日から毎日およそ塾の勉強を毎日三時間以上しなければならないので、もう、ほんとうに『受験生』という肩書が恨めしい限りです。

それに加え、そろそろ執筆の方も《サウンドノベル》というものも加わり危機感が募りに募り、もうパンク寸前です。
今日も今日とてこれから執筆です。とりあえず、これからしばらく色々と全力投球。
なろう内で僕の連載物を読んでくださっている読者様にはお馴染み、『嘘吐き作者』の代名詞である僕は、そもそも《四月中に必ず企画についてなろう秘密基地で意見を集める》と言っておきながらできていないので、それもしないといけない、というかぶっちゃけ今すぐにでも持って行きたい焦燥に駆られています。

いや、別に進んでいないという訳ではないのですよ? 
誰に弁明しているのやら、てな感じではありますが。

しかし、こう、色々と考えているのですが、考えあぐねているのが現状です。
なんとなく穴がある気がしますし、そもそもそうなんでしょうけど、それをどのように頭をめぐらせればいいのかよく分かりません。
そもそもそれをうかがうために秘密基地に持っていこと考えているのですが、しかし、それ以前に考えておかねばならないところ、明らかに伝えきれていないところがHPを読みなおして自分が思うことであり、どうしたものかと思っています。あまりこの場で記事にするのも良くないとは思ってはいるのですが、前々から常々脳裏をよぎって仕方がないので、何といいますか自分にも言い聞かせる意味合いも含めて。


さて、ちょっと話を変えて、普通の日記をぽつりと。

と思ったのですが、途中から思わずガチり出したので、僕の独りよがりな独白を読んでも仕方がないと思われる方にはこれからあんまりおもしろくないと思います。

取り合えず、続きにてかくしておきます。
前半は一応、ちょっとした日記を書いています。よろしければ、どうぞ。

ではではいったんここらで~。




最近、久々になろうの作品をまた読み始めました。このところずっと、書くことはあっても読むことはしていなかったので、ランキングとか、掲載さている小説そのものがほとんど変わっておりびっくり致しました。

僕は基本的に、見ての通りファンタジーが好きな人間なんで、毎回必ずと言っていいほどファンタジーのランキングを覗いています。

いやー、テスト直前と、昨日の話なんですが、いくつか新たにランキング上位にある小説を読んでしまい、思わずテスト前(中)にも関わらずどっぷりと嵌ってしまいどうしようもなかったです。
ご存じの方もおられるかと思われますが、たとえばモバゲーから移動してきた堂々の第一位のファンタジーとか、ローファンの代名詞かもしれない『異世界に迷いこむ』話である、片や知略と駆け引きで魔王を目指し国を相手にのし上がっていく話とか、片や勇者でもなんでもないたまたま呼び出された大ウソ吐きの口八丁手八丁な理屈メガネの話とか、マジで嵌ってこの数日の間に更新されている分は読破してしまいました。

そして改めて思うことは、僕は知略や駆け引きを行う話が大好きであるということと、『どんな些細なことでも物語に応用できる』ということです。

暴力とかだけではなく、口や交渉だけで相手を説き伏せるとか、結構憧れるものがあります。
相手の心情を読み、出方を読み、知略を巡らせ、先手を打ち、相手を封殺し、自分が有利なように話を持っていき、場の主導権を得る。
うむ。頭があまり良くない僕にとっては、まさに憧れです。
そんな話を是非とも書いてみたいのですが、いかんせん、そこまで頭の回転がいい方ではないので、自分がやろうとするとまず無理な気がします。そもそも知略以前に知識が乏しく、また実体験での経験も乏しいので辛いものがあります。

そこから改めて思ったのが、《物書き》という立場からみたら決して学校で行われている授業もバカにならないな、ということです。

《物書き》はともかく、勉強は絶対世の中には必要なものだとも思いますし、そもそもこんなこと言っている時点で僕はかなりの幸せ者、幸せな立場にいるんだろうなとは思いますが、しかし、ぶっちゃけただ漠然と勉強をすることが《未来の自分にとっていいこである》ということは分かっていても実感が持てないのも確かです。

大学受験で、親や塾の講師も含めて《他でもない自分のためだろ?》とか言われても、「んなことは言われなくても重々承知だよ」と言ってやりたいぐらいで、幸せ者の愚かな欲ですが、僕が欲しいのはもっと別にあるのも確かです。

つまり、勉強をすることの理由とか理屈とか必要性とか、そんなものは今は少なくともまったく欲しくはないです。
世間知らずのクソガキでも、頭でわかっているだけで覚悟も何もない青臭いガキでも、でも、それでもわかっていることはあります。
そんなものは、こんなことを言えばあまりに極端で暴力的ですが、今更必要はないんです。

何が欲しいのか。それを聞かれると、それは正直僕にもわかりません。
ただ、一つ言っておきたいのが、上記のことを大人に言うと、大人は対外『思春期の勉強したくない子供の言い訳』くらいにしか思われないと思いますし、事実そうだったんですが、でも声を大にして言いたいのは、その《何か》の答えが欲しいくてむしゃくしゃしているのは他でもない僕、ハンネですが『灯月公夜』という一個の大人にすらなれていない人間だということです。

大人にはもうそれぞれの答えがあるのかもしれない。きっと、何かしらあるんだろうというのは思います。幻想だとしても、少なくとも僕なんかの非力なガキに比べれば掴んでいる《何か》はけた違いだと思うのです。

しかし、あえて言えば、《人は人。自分は自分の答えを見つけたい》ということでしょうか。

都合のいい言葉であることも、所詮はいい訳である事も重々承知していますが、しかしだからどうしたと言い返したい。
言い訳でもただの理屈でも、自分が導き出した答えであればそれに勝るものはないと個人的には思っています。
というより、今までそうやって、誰に言う訳でもない、誰かに考えを披露するまでもない、自分だけの答えを出してきました。
それだけをやって生きてきたとは到底言うつもりも、そもそもこれっぽっちも思ってはいませんが、それでもいつも自分なりの答えを出してきました。
別にそれが正しいと思っているわけでもなく、誰にでも納得できるものだと思っているわけでもありません。
ですがその代り、それが間違っているとも、誰かに押し付けるつもりも思ってはまったくいません。
それに、そんなことただの所詮は独りよがりで、僕自身が偉いだなんて微塵も思ってはいません。「オレってこんなことも考えてんだぜ。すげーだろ」と悦に浸っているわけでもないです。んなもん、所詮は一人の独白にすぎないことだと思っていますし、きっと間違いじゃないです。バカくさいとか、アホくさいとか特に思う訳でもないですが、その人が持つ《答え》を聞いても「そうなんだ」で終わります。
それはそんなもんで、そうでしかないじゃないか、と思います。
僕の中にしっくりくる《答え》があるのと同じように、その人にとってその《答え》がしっくりとくるというただそれだけの話で、それは僕にとってはしっくりとこないだけの話なんだと思います。

話がだいぶ脱線したので、話を戻します。
そもそも最近、というか上記の小説を読んでいてふと思ったのが、僕が何故《学校の勉強に魅力を感じないのか》ということです。ぶっちゃけ、小説の書き方とかを勉強した方がずっと魅力的です。

ここでひとつ考えに至ったのが、要するに《学校の勉強は知ったところでいつ使う?》というものです。大概の場合、ほとんど使わない、正確に言えば自分の職業や好きなもの以外使わないと思うのです。

すべての分野において、オールマイティに知っているに越したことはないと思います。
しかし、それでも《使うか使わないか》という差はあまりに大きいと思います。当然、この《使うか使わないか》というのは受験勉強や生活での《使う使わない》を指しているわけではないです。
もっとかみ砕くと、《自分が使いたいのかどうなのか》ということです。それが、不意に至った考えです。

これを自分の立場に置き換えてみます。この場合、僕は自分を《物書き》としての立場に置き換えました。
すると、授業を受ける心構えというか、意気込みというか、それが少し今までと変わったことに気がつきました。
それは何故なら、吸収したそれを《物書き》として《物語》に応用することができ、幅が広がるからに他ならないと思います。
つまり、《使用することができる》ということです。
これを思いながら授業を聞くだけで、「あ、これはこんなことに使えるんじゃないか?」とか「これはこうやって使うとおもしろいかも」とか「これと、さっきもこれを組み合わせればこんな方法が生まれるな」とか、ついつい考えてしまうようになります。

別に媒体とかはなんでもいいんです。たとえば魔法とかで、気体の性質とか、それだけを正確に把握しているだけで応用や想像の幅が広がるのは間違いないでしょう。自分だけの魔法理論もより深く考えられるようになるはずです。
物理なんか知っているだけで、特に意識するでもなく、《こうなるのはおかしい》というものがわかるようになりますし、そもそもわざとそれを捻じ曲げることもできるようになるはずですし、それを推理やミステリー、ファンタジーなんかでも考えれば考えるほど使える場所は広いはずです。
『一を聞いて十を知る』とまでは言いませんが、そもそもその『一』さえ知らなければそこから先もどうしようもないというのも事実だと思います。

小説とは空想、あるいは架空の存在を記したものだとも言えると思うのですが、しかしいくら空想や架空といえど、知らずに想像で創作する空想や架空よりも、知っていて創作する空想や架空の方がよっぽど素晴らしい作品が書けると思います。
そもそも人は自分が知っていること、これまで体験してきた範疇でしか物事を考えられないし、言えないと考えているので、知らなければどうしようもないのではないでしょうか。

簡単な例ですが、野球を知っているのは実際に多少なりとも野球をした経験がある人で、サッカーしかしたことがない人にとっては、野球は見たり聞いたりした想像の域を出ることができません。サッカーしかしたことがなく、またサッカーをすることが心底《楽しい!》と思っている人が、したこともない、だからこそ知りえない、野球をすることが心底《楽しい!》という気持ちを理解できるはずがないんです。せいぜいなんとなくその《楽しい!》という気持ちがほんわりと共感できる程度です。
野球で初めて試合でヒットを打ったときの喜びは、野球をしたしことのある人にしか分かりません。逆に、サッカーの試合で初めてゴールを決めた時の気持ちは、野球しか知らない人には到底分らないものだと思います。
喜びの種類としては非常に酷似しているかもしれませんが、それでも決して同一のものではないと僕は考えます。
そして当然この場で言う《知る》というのは、自分がそれを体験すること、主体であることが前提であり、それを指しているつもりです。

またまた少し話がずれましたが、要は勉強に限らず、それ自体にあまりやる気や意欲を感じないのは、ただそれが漠然としすぎており、自分がどのようにそれを使用すれば自分が嬉しくなるか、あるいは楽しくなるのか、それが分からないからではないかということです。
進む可能性のある道が、立ったその位置から道と道の間にほとんど隙間のないほどまでに無限にあると、どこへ向かっていけばいいのかまったくわからず、このままではいけないとわかってはいても結局はその場から動けなくなるのではないでしょうか。仮にその道が三つしかなければ、少なくとも無限にある状態よりも動きやすいのではないでしょうか。
そしてその先にある目標が、今、この瞬間、自分がそれをすれば《楽しい》と感じるものであれば、きっとどんな些細なことでも見方が変わってくると思います。

たとえば僕の場合ですと、それが《小説》です。
先ほども上げたように、僕は知略や駆け引きといった心理戦、情報戦が好きです。ならば、それをいざ自分が創作するとするのならば、まずは経済学が必要になってきます。他に考えつく限りを羅列すれば、他には《国》《社会の仕組み》《数学》《心理学》《自然科学》《地学》《工学》《貿易》《金融》《会社での取引の方法》《歴代の交渉》などなど、いくつか似通っているのはあるかもしれませんが、これだけの思いつきます。
あとは戦争物(ファンタジーとかの合戦とか)には《兵法》《食料問題》《武器》《現代に残る合戦の歴史》、それから戦争の《動機》や《きっかけ》なんかも知る必要があると思います。
また、魔法や《能力》というものを考えるときには《物理学》《化学》《科学》《地学》《自然科学》とか、知れば知るほど、想像できる範囲がぐっと広く深くなると思います。

ごくごく当たり前のことしか書いてはいないかもしれません。
しかし、今僕が出しつつある一つの《答え》の形です。

《知る物はすべて使える》

そして、

《知ることで使えるものが増え、他でもない自分が楽しい》

と思うのが、まずは第一歩のような気が、ふと最近、そしてここまでぐだぐだと書いていく中で思いました。
少なくともただただ勉強して、その理由は《将来のため》とか《未来の生活を良くするため》とか、それももちろん大事だとは思いますが、そんな明らかに漠然と、逆に言えばある意味わかりきったものよりも、《今、この瞬間に必要なもの》を追い求めていく方がよっぽどいいと思います。
どうせ、未来だなんて、《過去》と《今》の集合体の上に成り立っているわけですから、過去なんかよりも、そして未来なんかよりも《今この瞬間》のために追い求めていく方がよっぽどいいと思いますし、その方が楽しい気がします。


なんかあんまりガチるつもりはなかったのですが、気がつけばかなりガチってて自分にびっくりです(笑
まあ、ふ~ん、程度で流してくださって構いません。少しでも共感していただければ、そっと心の片隅にでも置いておいてくださると、なんとなく嬉しいです。

ていうか、このあと執筆しようと思っていたのに、時間的に無理になってしまった(渇笑

ではでは、今回はこんなもんで。お付き合いいただきまして、誠にありがとうございました

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